by セイヤー めぐみ
「神の計画」と聞いた時に、あなたは何を思い浮かべますか?私はこの数週間、「神の計画」と「自分の計画」の違いについて考えを巡らせていました。そこでわかったことは、この2つの計画にはとても大きな差があり、神に呼ばれている人生に入るためには、神の計画を受け取り、そこに深く入っていかなければいけないということでした。
それは同時に、自分の計画を手放していくことを意味します。自分と神の計画両方を握りしめ、それらを同時に進めていくことは、自分を引き裂いてしまうようなものだからです。神の計画をしっかり握り、それと一つになって進んでいくと、物事に対する視点が変わり、本当の喜びの場所、つまり神があなたを招いている場所に入っていけるのです。
自己都合で作られる人の計画
まず、「自分の計画」とはどんなものでしょう?私たちは人生の中で、さまざまなことを計画します。計画通りにうまくいくものもあれば、まったく思い通りにならないものもあります。
私たちが立てる「自分の計画」というのは、常に自分を中心に置き、自分のアイデアや能力、経験を土台として、自分の利益のために立てられる自己都合の計画です。みなさんもこれまで立ててきた自分の計画を振り返ってみると、思い当たる節があるのではないでしょうか?しかし、それはある意味普通のことです。自分が嫌な思いをするために計画を立てる人は誰もいません。反対に、嫌な思いをしないため、あるいは自分が楽になり、自分が得をして、自分を楽しませることを優先して計画を立てます。
そうすると、自分の計画というものは極めて自己中心的であることがわかります。私たちが立てるほとんどの計画は、自分の都合で作られていて、自分がいつも中心にいるのです。
性質が異なる神の計画
では、「神の計画」とはどんなものでしょう?さまざまな側面があり、たくさんの特徴がありますが、それらは人の計画とは大きく異なっています。次は人の計画と神の計画を対比して書き出したものです。
人の計画 | 神の計画 |
自己都合で作られる | 神の良さで作られる |
これまでの知恵や経験に頼る | 新しいことをする(イザヤ43:18-19) |
すべて把握している | 神のみがすべてを知っている |
自分に注ぐ | 他人に注ぐ |
自分が中心 | 自分は一部に過ぎない |
自分にコントロールがある | 選択がある |
思い通りに動かそうとする | 自分を捧げる必要がある |
やりたくないことはやらなくて良い | 成長が要求される |
自分のタイミングで達成を見たい | 世代で受け継がれていく |
限界がある | 超自然的な奇跡がある |
誰でもできる | 霊的な基準がある |
自分の利益を求める | 神の栄光につながる |
創世記12章で、神がアブラハムを呼んだとき、アブラハムは神の計画に足を踏み入れることを選びました。それまで自分の計画で進んでいた人生が終わり、まったく未知の神の計画に飛び込んだのです。アブラハムは神の計画全体を知ることはありませんでしたが、ゴールは知っていました。神は次のようにアブラハムに語りました。
主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」 創世記 12章1~3節
裕福でなんの不便もない心地よい状態から、神はアブラハムが信仰の父となるために、さらなる成長を望んだのです。言い換えれば、アブラハムは選ばれた人でしたが、神が招く地位に着くためには、さらに高い霊的基準が要求されていたのです。それはこれまでいた場所で得られるものではなく、神の計画に従って自分の計画を手放し、神に信頼する旅をすることによってのみ得られる基準でした。
神の計画は常に良いもので、私たちがそこに飛び込むなら、神の良さを必ず見ることができます。ただし、私たちがそれを把握することはできないし、次にどんなことが起こるのかはわかりません。今の生活を変えないといけなかったり、やりたくない時に自分が進んでやらなければいけなかったりするときもあります。
でもその結果はどうでしょう?アブラハムがこれまで築いてきたものを手放して神の計画に入り、神と共に進んでいった結果として彼が見たものは、もう諦めていたはずの自分の子どもでした。自分の人生設計から除外したはずの彼の夢が、神の計画に従うことでかなえられたのです。そして500年以上経ち、神が約束した地がアブラハムの子孫たちに与えられ、大いなる国民となり、祝福となったのです。それは金にもまさる価値があるものでした。
自分の生活を手放し、神の計画を受け取り、その中に入っていくと、そこには奇跡があふれ、恵みが流れ、何ものにも代えがたい神の栄光を表す一部を担うことになるのです。それは自分のタイミングで、自分が期待していた時に、自分が期待していた形で見られるような約束ではありませんでした。世代を超えて、国境を超えて、人種を超えて、神がなそうとしていた贖いの計画であり、世界に父の偉大な愛と、救いをもたらす人の考えをはるかに超える壮大な神の計画の一部をアブラハムは請け負ったのです。
明け渡すことが鍵
私たちは何もせず、今の状態で神の計画に入っていくことはできません。アブラハムのように約束の地に入るためには、自分の将来設計や計画、さらには自分自身の利益までも明け渡し、信仰の旅に出る必要があります。自分のための計画を実行しながら、神のための計画も行うことは不可能です。そこが一番難しいところでいつも葛藤がありますが、そこで自分を捧げるとはどういうことなのかを学びます。神の計画に自分自身を合わせていくのです。
私たちクリスチャンは、ただ受動的に祝福を待っているような人々ではなく、いのちを捨ててくれた方に喜んで自分の人生を預け、神の計画のために身を差しだす過激な人たちなのだと思います。少なくとも、聖書で神の愛と出会った人々はみなそのような人たちでした。
自分の計画や自分自身を明け渡し、委ねていくことは、自分の守りがなくなってしまうようで恐ろしく感じるかもしれません。しかし、本当に安全な場所は、私たちの歩みを確かにしてくれる父がいる場所です。今自分が握っているもの、譲れないものを一つずつ明け渡していくとき、あなたの霊的な基準は引き上げられます。信仰も成長します。神から認められ、神のパートナーとしてこの地を歩むようになっていくのです。
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。
箴言 16章9節
主よあなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
詩篇 86篇11節
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