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石川・四国ミッションレポート

執筆者の写真: CTF JapanCTF Japan

5月のゴールデンウィークに、2つのミッションが国内で同時に行われました。神の計画の中で、最高のタイミングで行えたミッションとなったことを感謝します!



石川ミッション


私たちは5月4日の夜に佐野を出発し、真夜中に石川県に到着しました。今回は小学生3名を含む9名のミッションチームです。


5日の早朝から準備を始め、地震と津波の被害を受けた輪島市で炊き出しをしました。場所は、約50名ほどの人々が寝泊まりしている避難所で、震災から5ヶ月経った今も行くあてのない人々が暮らしているところです。


輪島市までの道中では、まだ道が崩れたままだったり、ひび割れや土砂崩れがそのまま残っている箇所がたくさんありました。また、たくさんの壊れた家が、そのまま瓦礫となってい

ます。遠く離れた場所に住んでいるとなかなか情報は入ってきませんが、まだまだ復興までの道のりは見通せていない状況です。


そのような中で、私たちは避難所にいる人々や周辺地域の人々のために、スパムおにぎりと味噌汁、スナックと飲み物を配りました。小学生チームも一生懸命お手伝いし、みんなで心を込めて作りましたよ!




配り終わった後、一人の男性と話しました。

「ここは山に囲まれてとても気持ちいい場所ですね」と言うと、「前はもっといい場所だったんですよ」と話してくれました。震災当初からずっとこの場所でボランティアをしているこの男性からは、震災で失ったものや大変さが痛いほど伝わってきました。


そして、彼のために祈らせてもらうことになり、近くにいた職員が他の職員たちを集め始めました。チーム全員が輪になり、人々のために祈り始めました。この場所で神が人々に力と希望を見せてくれるように、動かなかったものが動き始めるように宣言し、癒しと回復があるように祈りました。すると、この男性が泣き始めたのです。一緒に祈っていた何名かも泣き始め、チームの一人がその男性を抱きしめてイエスのことを話しました。聖霊は私たちを通して、人々の心に触れて下さるのです!



それから、私たちは元旦の震災で全焼した朝市に行きました。焼け残った瓦礫の山は、私たちの心を砕きました。



ここでどれだけ多くのものが失われたか、どれだけの人が心を痛めたかを考えると、涙せずにはいられません。私たちはこの場所で一緒に祈りました。問題の大きさを見ると私たちができることはとても小さく感じますが、だからこそこの場所で神にしかできないことを見せてほしいと願いました。



それから、私たちは珠洲市の老人ホームを訪問しました。3つの施設をまわり、ひどく損傷した建物を案内されました。



この場所には、震災直後に多くの避難者が避難してきました。100名の利用者と職員の3日分の食糧と水を備蓄していたそうですが、それを避難してきた250名の人々と少しずつ分け合い、みんなで1週間耐えたそうです。電気も水道も止まり、お正月の楽しいはずの期間を、人々は寒さに震えながら喪失感と不安の中を過ごしました。


今はだいぶ状況は良くなっていますが、地震でできた段差や亀裂はそのままで、たくさんのお年寄りがここで過ごしています。私たちは以前、この施設に300人分のニット帽を送り、今回は栃木のいちごと飲み物をプレゼントしました。


チームはそれぞれ積極的に人々と関わり、愛することができたと思います。現地に行ってみて初めてわかることや、その場所で初めて神に示されることがたくさんあります。また、神は今回の「炊き出し」という小さなことを用いて、人々の心に触れ、神がご自身の行いたいことを行ってくれました。それは受ける人たちだけでなく、与える私たちにもです。


私たちはただ自分たちのやりたいことを押し進めるのではなく、神の心がこの地で行われ、神ご自身が栄光を受けることを願っています。そして、もっとこの働きに加わりたいと願う人たちが起こされ、御国がこの地に下ることを願う人たちによって、神の国が広がっていくことを祈っています。






愛媛とりなしミッションレポート

by ワンダリ美奈子



今年5月3-6日、私達夫婦は、10才になる長男を連れて、愛媛県松山市へ向かいました。約15年前のある夜、琉球と日本の繋がりに関する夢を見ました。その中で非常にハッキリと語る主の声が聴こえました。「あなた方は、愛媛県北条を通過しなければならない。」 



当時、私は愛媛県北条というのがどこにあるのかさえ知らなかったので、その場所や背景について調べました。そして、その地域が源平時代に活躍した河野水軍の拠点であったことがわかったのです。それから何年もの間、私は日本―沖縄の島々の繋がりについて、また海上交易や、海に関わる偶像礼拝の実態について少しずつ調べ続けました。




実際に扉が開き始めたのは、2023年3月のCTFジャパンミッションがきっかけです。その時、FFTCのチームと一緒に、私達は宮崎県の三つの村々を訪ねました。その一つに、河野水軍と関りのある漁村がありました。私達は、そこで祈りと賛美を捧げ、人々に福音を分かち合いました。


その後、私達は思いました。「次は奄美大島だ。」

実は、前述の夢を見た後、主は非常に明確な方法で「奄美大島に注意を払いなさい」と言われたのです。私は奄美大島について少しずつ調べていました。古代から、日本本土と沖縄は海上ルートを使って密接に結ばれており、奄美大島は船々の寄港する重要な拠点でした。それは歴史的・霊的な接点であるということです。私達は、2023年10月に奄美大島へ向かいました。そして、源平時代に関連した数カ所で祈りました。


その後、「いよいよ四国へ行く時が来た!」と思いました。

私達が注目し続けてきたのは、「東の貝の道」と呼ばれる古代からの海路です。沖縄―奄美―九州東岸(宮崎・大分)―四国―関西を結ぶ海路です。それを通してもたらされた霊的なネットワークを断ち切り、イエスの救いと自由、神の炎をこれらの地域一円に解き放つことが今回のとりなしの目的でした。


興味深いことに、昨年以降、私達の教会のメンバーが、移動等によって、沖縄―宮崎―神戸と、まるで教会自体がこのとりなしのために準備されているかのような配置づけになっていました。私達は、5月4日に同刻とりなしを計画しました。私達夫婦が愛媛県へ赴けば、沖縄―四国―宮崎-関西で、同時に祈ることができます。沖縄をはじめ、関連する地域のCTFの教会や、その他の教会のリーダー達やクリスチャンの方々にも協力をお願いしました。自分が置かれている地域の拠点に赴いてとりなしてくださった方々もおられます。このとりなしの中で最も重要な拠点の一つが大分県の宇佐神宮でした。そこには、CTF大分のチームが赴いてくれることになりました。


また、このように大きなとりなしに臨む時には、関係者の守りの祈りがとても重要なので、日本国内や海外の友人・知人達に背後の祈りをお願いしました。結果的に非常に多くの方々が祈ってくださることになりました。

5/4(土)12:00-12:40、私達はそれぞれの場所で、同刻にとりなしを捧げました。これら一円の地域における罪を悔い改め、告白し、イエスの血潮の力を解き放ったのです。そして、聖句や預言的な言葉の宣言を通して、神の祝福や計画を解き放ちました。




II歴代誌7:14にはこう書かれています。

「わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。」


とりなしは、とりなし自体が目的ではありません。福音宣教――人々や町々、国々の救いと解放が目的です。祈りによって妨げが取り除かれる時、天にあるものが地にもたらされ、人々が福音を受け入れやすい土壌に変えられていきます。祈りによって耕された土地に、福音の種を蒔くのです。今回の一連のとりなしは、一つの始まりです。これからどうなるのかわかりませんが、主の備えられたものを楽しみにしながら、次の任務を受け取っていきたいと願っています。








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