焦点
- CTF Japan
- 9月24日
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私は自分の力に頼ってこれを成し遂げようとはしません。しかし、私にはただ一つの強い焦点があります。私は過去のすべてを忘れ、私の心を未来に固定します。私はまっすぐに走ります。天の目標に到達するための神の招き、そしてイエスの油注ぎを通して勝利の賞を得るために。ピリピ3:13-14(TPT訳直訳)
みなさんは小学生のころ、虫メガネで太陽の光を集めて、黒い紙に火をつける実験をしたことがありますか?
光を一点に集めると、そこに太陽の光が集中し、火がつきます。小学生ながらに、多くの人が「焦点」の持つ力を実感したのではないでしょうか。

実は、「焦点(focus)」という英語は、ラテン語で「炉」「家庭の火を使う場所」という意味からきています。17世紀ごろ、科学者たちはこの言葉を使い始め、「光や熱の集まる点」という意味で、科学的な文脈で使われ始めます。
光があちこちに拡散しているうちは、火はつきません。しかし、光を一点に集中させたとき、火がともります。
それと同じように、私たちの人生にも一点に集中することが必要です。忙しく、情報過多の現代に生きる私たちは、様々なものがこの集中を妨げてきます。
しかし、私たちがイエスに全注目を注ぐとき、そこに火がつき、突破口が開きます。
人間の体の構造は不思議なもので、歩いたり、走ったりするとき、体は自然と「見ている方向」に向かいます。
あなたは今、どこを見ていますか?
もし、私たちの目が過去に向いているなら、心も思いも過去に引っ張られます。失敗や後悔にフォーカスしていると、人生はそこから抜け出せなくなってしまいます。
また、過去の成功にばかりとらわれていても、「あのときは良かった」という思いが現在の歩みを止めてしまいます。
そのどちらも、イエスに向かうことから私たちを遠ざけてしまうのです。
「私は自分の力に頼ってこれを成し遂げようとはしません。しかし、私にはただ一つの強い焦点があります。私は過去のすべてを忘れ、私の心を未来に固定します。」
もしパウロのように、私たちも過去に起こってしまった失敗や後悔、嫌な思い出、あるいは輝かしい過去、そういった後ろのものに目を向けるのではなく、完全にイエスに焦点をあて、心を未来に固定するなら、いったいどんなことが起こるのでしょう?
私たちは、自分で火を起こそうと必死になる必要はありません。
私たちがやるべきことはやるべきことはただ一つ、イエスに焦点を定めることです。
そうすれば、自然に火がつくはずです。
イエスは、自分の足元でただ座っているマリヤについてこう言いました。
「しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」ルカの福音書 10章42節
マリアは、自分の役割や、やるべきことに囲まれていたにもかかわらず、イエスの足元に座り、ただイエスを見上げ、ことばを受け取っていました。
そのマリアに対して、イエスは「唯一の必要なことを選んだ」と語られたのです。
イエスを見るというのは、単なる宗教的な行為ではありません。
私たちが ”唯一、必要なこと” なのです。
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