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希望

更新日:2023年4月24日

by 石橋 雄介




今月の礼拝で、Catch The Fireアジアのリーダーであるレイチェル・サーカさんが「希望」について語ってくれました。クリスマスの時期は街中がライトアップされるのを見て、こう感じたそうです。「どんな暗闇でも光があれば、もうそこは闇ではない。それが小さな光であったとしても、光がある以上、そこに闇はもういられない。暗闇は決して光には勝ちません。イエスは私たちの希望です。だから私たちも、このイエスの希望に焦点を当て続けましょう。そしてこの希望の光を、多くの人々の人生に照らしていきましょう!」


このメッセージを聞いて以来、この「希望」という言葉が、私の心にずっと留まっています。希望、それはイエス自身であり、イエスから流れてくる御国のレンズです。私たちは普段の生活の中で、どれくらい希望を見出して生きているでしょうか?クリスマスという季節に限らず、どんなときでも、どんな状況でも、希望が私たちの心を満たしている、その様な生き方へともっと変えられたい、そう強く思わされました。なぜなら自分自身、普段の生活の中で、ついつい問題ばかりが目に映り、イエスを想うことを忘れ、不安や混乱で頭がいっぱいになることがあるなあ、と思ったからです。






私の職場での出来事を1つお話しします。昨年から、私は佐野インターナショナルスクールで教師をしていて、3−4年生のクラスを担当しています。初年度は全てが新しく、新しい職場に適応するための1年間でした。2年目に入ると、受け持つ生徒は新しくなりましたが、去年と同じ学年の担任ということで、気持ちには余裕がありました。ところが、蓋を開けてみると、新たなチャレンジが私を待ち構えていました。新3−4年生は想像以上にエネルギッシュな子どもたちでした。クラスルームはいつも楽しく賑やかである一方、授業中の意識の切り替えや集中力の欠如が目立しました。もちろん、彼ら全員がユニークで愛おしく、創造主なる神様の素晴らしさを思い起こさせてくれる素晴らしい子どもたちです。ただ、指導者として、彼らから溢れるエネルギーを正しい方向に導く必要がありました。しかし、同じカリキュラムを使っていても、生徒が変われば、クラスの雰囲気も学習の取り組み方も変わります。勝手に思い描いていた理想の授業展開はそこにはなく、声を張り上げながらの試行錯誤の日々が始まりました。「遊ぶ時には思いっきり遊ぶ、勉強する時には静かに集中する」事あるたびに、そう生徒たちに指導するのですが、しばらくするとまた賑やかになり、また注意して、しばらく経つとまた・・・その繰り返し。なかなか落ち着く様子が見えないクラスに、最初の数ヶ月は戸惑いました。


でも11月、スクールのクリスマスの準備が始まった頃、彼らの中に変化が起こりました。クラスの発表を何にしようか祈っていたときに、ダンスを示されました。私はダンス初心者でしたが、彼らのエネルギーを活かす最高のアイディアだと思い、「You Are Good!」という元気なワーシップダンスを一緒に練習し始めました。賛美の歌詞も、ダンスのステップもあっという間に覚え、休み時間にも「You Are Good!〜主は良いお方です!」と歌いながら踊る彼らの姿に、私の心は喜びで満たされました。そして不思議なことに、その頃から授業中の彼らの様子が落ち着き始めたのです!集中力が少しずつ伸び始め、授業の空気が変わっていくのを肌で感じました。これは私にとっては驚くべき変化でした。また、今月行われたクリスマスコンサートでは、楽しんでダンスする生徒たちが、会場の親御さんたちに向けて、思いっきり喜びを解き放ってくれました。




神の視点

この出来事を通して、私はある事に気付かされました。それは、彼らを見る私の視点と神の視点に違いがあったということです。私は生徒たちのエネルギーを授業の妨害と認識し、そのエネルギーを鎮めようと注意していました。しかし、神はエネルギー溢れる彼らを、礼拝者として見ておられたのです。ダンスを通して彼らは主に出会っていた、そして主は彼らに触れておられた、そんな聖霊の囁きを感じました。そして聖霊によって自分が変えられるのと同じ様に、彼らも変えられているのだと知りました。2023年を迎えるにあたり、この出来事は私にとって新しい「希望」となりました。


イエスの誕生をお祝いするクリスマス。その神の子を育てるという大役を預かったマリヤとヨセフにとって、それは決して簡単なことではなかったでしょう。聖霊によって身ごもったマリヤでしたが、彼女の周りの社会は、それを素直に受け入れたでしょうか。夫ヨセフも、最初その知らせを耳にした際、彼女の身の安全を案じて、内密に関係を断とうとしました。ヘロデ王は、博士たちからユダヤ人の王が生まれると聞くと、自分の王座に対する敵対者だと憤慨し、ベツレヘム中の2歳以下の男の子を殺すという残虐な行為に走りました。イエスの誕生は、全人類を救出する最大の希望でありながら、世の中の目には問題として映りました。しかし、マリヤ、ヨセフ、羊飼い、博士らなど、神を愛し畏れる者たちは、主から受け取った希望のレンズで、幼な子イエスの誕生を喜びました。


イエスは私たちの希望、どんな状況でも私たちと共におられます。だから私たちは、常に希望を見ながら生きることができます。2023年、どんなことが待っているかは誰にも分かりません。問題も多かれ少なかれ起こります。でもそんな時、主がどのようにその現実を見ておられるか、聖霊の声に耳を傾けて欲しいのです。自分の目に問題として見える状況が、主の目には希望として映っているとしたら、あなたはどうしますか?絶望的だと思っていた現実が、主の奇跡を体験する絶好のチャンスだとしたら、それを受け取りますか?暗闇の中でこそ、光は一段と輝いて見えるものです。


2023年、イエスという希望をたくさん見つけましょう。希望は私たちを前進させる力です。そして、この世の暗闇で苦しんでいる人々に愛を持って仕え、イエスという希望の光で日本中を照らしていきましょう!


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