神は良い方
- CTF Japan
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by セイヤー めぐみ
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ローマ8章28節
「神は良い」ということを考えるとき、ふと疑問が湧き上がってくることがあります。「こんなにも私の状況は悪いのに、なぜ神が良いと言えるの?」と考える方もいるかもしれません。今日はその「神の良さ」について、深く踏み込んでみましょう。
ヤコブの人生を考えてみてください。創世記を見ると、彼の人生はめちゃくちゃだったことがわかります。彼を取り巻く人々とのできごとを想像しながら見てみましょう。
【父】
ヤコブは親の偏った愛の中で育ち、父親がいつも自分の兄を可愛がるのを間近で見てきました。「兄のようにたくましくなれ」と言われていたかもしれないし、兄にばかり注目がいき、寂しい思いをしていたかもしれません。子どもはいつも父親の愛を欲するものですが、ヤコブはそれを十分に受けられずに育ちました。それだけ取り上げても、人生に大きな影響を与えます。家庭での愛の偏りは子どもの心を傷つけ、人生のあらゆる面でその傷の影響が現れます。
【兄】
また、兄エサウは家族の悩みの種でした。みなさんもご存じの通り、エサウは長子の権利を軽々しく売ったり、問題をもたらす妻たちをめとりました。さらには、ヤコブが父の祝福を受けたと知った時、ヤコブを恨み、殺そうとしています。兄から命を狙われるほど、兄弟関係はズタズタでした。
【おじ】
ヤコブが兄から逃げた先では、ケチで卑怯なおじラバンに何度も騙され、搾取されました。自分の家族であるはずの人が、ヤコブを最も傷つけること、ヤコブの益にならないことを平気でしてきたのです。
【妻】
ヤコブは、心から愛するラケルと結婚する日を心待ちにしていました。ラケルと結婚するために長年働き、やっとその日を迎え、これから幸せな結婚生活が始まると思っていました。しかし、結婚式の翌朝見てみると、なんと自分が結婚した人は別人でした。知らぬ間にラケルの姉レアと結婚させられてしまっていたのです。ヤコブ本人も、ラケルも、レアも、みんな心を引き裂かれるような衝撃的な出来事が起きたのです。後にヤコブはラケルとも結婚しますが、妻同士の激しい争いに心を痛めることになります。
【子ども】
ヤコブの子どもたちは、感情的で、人を殺し、姦淫する者でした。さらに、自分の愛する子、ヨセフが獣に殺されたという信じられないような知らせを受けます。血がついた息子の服をみた時、ヤコブの心情はただならぬものだったに違いありません。
これだけみても、ヤコブの人生はとても波瀾万丈です。目の前にあるのは、痛みと混乱ばかり。私たちの人生もヤコブほどではないかもしれませんが、様々な問題や不条理にぶつかります。その中で、神の良さなんて、いったいどこにあるのでしょうか?

しかし、一歩下がって見てみると、ヤコブが知らないところで、神は静かに、確かに働いていました。
①神は兄エサウの心を柔らかくし、和解を用意してくれました。
殺したいと思うほど恨まれていた兄弟関係だったのに、2人は抱き合って泣き、奇跡的に和解しました(創世記33:4)。
②父イサクは満ち足りて死にました。(創世記35:29)
もう揃うことはなかったはずの兄弟、ヤコブとエサウが揃って父を看取り、一緒に父を葬りました。
③神は、ヤコブの息子ヨセフといつも一緒にいて、ヨセフを祝福しました(創世記39:3)
ヨセフもまた、兄弟に売られ、奴隷になり、投獄され、困難を歩みました。
しかし、神はヨセフの行くところすべてを祝福し、彼をエジプト王に次ぐ地位に就かせました。これはヤコブがまったく知らないうちに起こっていたことです。
④アブラハムとの約束を受けつぎ、多くの国々の父となりました。
⑤メシアもここから生まれました。
実はヤコブも人類の救いの計画の一部となっていたのです。
しかし、このことをヤコブが知ることはありませんでした。
これらのことを見るとどうでしょう?
目に見えるものは苦難ばっかりで、大変な人生をヤコブは歩みました。たくさん傷ついて、たくさん泣いて、心を引き裂かれてきました。
でも、神はその人生のすべてを拾い集め、良いものにしてくれる良い神なのです。
ヤコブの人生に起こったことは変わっていません。悪いできごとがなかったことにはなっていませんが、神はそれらを良いものへと確かに変えてくださいました。ヤコブは最終的に、平安の中で、これ以上ないほど幸せに死んでいきました。
神は起こっていることをすべてを説明してくれるわけではありませんし、すべてを見せてくれるわけでもありません。そして、神にその説明責任もありません。
私たちには、神の良さに信頼するという特権が与えられています。
状況が変わらなくても、神はすべてのできごとを用いて傑作を作り出します。私たちはそれを最初から最後まで見ることはできませんが、神はすべての勝利や苦しみ、葛藤、悩み、そういったものをすべて拾って、最高のストーリーを書き上げてくれるのです。
だから、聖書はこう言っています。
「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」テサロニケ人への手紙 第一 5章18節
感謝は、神への信頼の表現です。
良いことが起こっても、悪いことが起こっても、神の良さは変わらないということを認め、状況よりも神の良さを前に置きます。逆に言えば、感謝がないということは、自分を信頼しているということで、もっと神に信頼する必要があります。
もし、私たちが神の良さに信頼し、感謝できるなら、問題に対する私たちの反応が変わります。
「なんでこうなの?」「神様おかしいんじゃない?なんで私ばっかり」と言っていたものが、「主よ、感謝します。もっと良い場所へ招いてくれていることをありがとうございます。あなたは私にどうしてほしいですか?一緒にこの季節を歩んでください」と言えるようになります。
"感謝しつつ主の門に賛美しつつその大庭に入れ。主に感謝し御名をほめたたえよ。"
詩篇 100篇4節
私たちは、たとえ奪い取られても、痛めつけられても、感謝し、主に近づくことができます。
問題が起こったときは感謝をもって主の門をくぐり、私たちを愛する眼差しで見ている主に近づくことができます。
そして、実際に神の良さに信頼する人は、神の良さを見ていきます。
イエスが言った通り、私たちが信じた通りになっていくのです。
私の願いは、私の人生全体が「神の良さ」を証しすることです。
人々が私を見たときに、「ああ、確かにあなたの神は良い神だね」と言って欲しいのです。
神は良いお方で、この真理は、どんな状況にも左右されません。私たちはその神の良さを信じ、どこへ行ってもその良さを放ち、広げていく使命を持っています。
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